TIL that Momofuku Ando, a national hero who is credited with helping to end Japan’s post-war food shortage by inventing instant ramen, was born Taiwanese and didn’t become a Japanese citizen until 1966
https://www.nissin.com/jp/about/chronicle/
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インスタントラーメンを開発して戦後日本の食糧難を救った国民的英雄と称えられてるんだってさ。
台湾で生まれた後、1966年まで日本国籍を貰えなかったらしい。
安藤 百福は、日本の実業家。日清食品創業者。インスタントラーメン「チキンラーメン」、カップ麺「カップヌードル」の開発者として知られる。 日本統治時代の台湾出身の台湾人で、元の名前は呉百福。台湾本島人のため戦後は中華民国籍となり、1966年に日本国籍を再取得した。 ウィキペディア
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ラーメンを1パック買って卵1つ落として食べれば、1ドルもかけずに何日かは過ごせるもん。
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良いコメントありがとう。
日本にはモモフクのレストランはないんだ。
だから、Netflixでチャンの事を見た時に韓国系アメリカ人が日本料理の店に付ける名前にしちゃおかしいと思ってたんだよ。
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新開発の商品ってのは、経済規模が安定するまでは高いものが多いからね。落ち着くと、値段が下がるんだよ。
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もし大阪にいるなら、行ってみて欲しいな。
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百福さんはインスタントラーメンを発明したのであって、ラーメンとは違うわよ。
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日本国内で生まれたんじゃなきゃ、本当の日本人にはなれないだろ。
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引用元:reddit
コメント
またこれか。
インスタントラーメンは戦後の食糧難の解決とは関係ない。
ぶっちゃけアメリカからの小麦でギリギリ何とかって感じだった
生産やってなかったのに復員兵が大量に戻ってきて
もうどうにもなってなかった
商業ラインに乗せるのに成功したというのが正しい
それな。
チキンラーメンタイプの袋麺はおやつカンパニーのほうが早く作ったし、現在主流のスープと麺が別れているタイプは明星が作った。
カップ麺も明星のほうが早く作った。
安藤さんは特許意識が緩かった当時に、いち早く特許をとっただけ。
あとマーケティングが素晴らしかったので即席麺を広めた口跡はでかい。
しかし即席麺を発明した開発者ではない。
♪ おぃしぃ
♪ おぃしぃ
♪ ダネィホン
袋麺までは百さんの功績。
カップヌードルは部下たちの死力を尽くした努力で、社長はただ文句言ってただけよ。
商品として定着させたところは消防署からって言うよね。
そして日本中に広めたのは皮肉にも連合赤軍(あさま山荘事件)
を包囲してた機動隊だろ
なんかずっとテレビで放送してたんでしょ
でその中でカップ麺を食べる姿が出てきたとかって聞いた
どちらも広めた功績てあって、開発した功績ではない。
おやつカンパニーと明星にあやまれ。
明星食品「」
明星食品はアメリカの公開買付に対抗して日清食品の傘下に成ったが会社としては有能だと思う。
日清(台湾)、ロッテ(朝鮮)、タイトー(ユダヤ系満州人)は日本帝国の遺した三大企業だな。
日清はカップ麺、タイトーはゲーム産業の黎明期を築いたので、その功績は計り知れない。
年に一回くらいは食べたくなるけど
それ以上は飽きる
新潮社フォーサイト2019年01月25日
【番外編】NHK『まんぷく』チキンラーメンは本当に「発明」なのか(上)- 野嶋剛
・安藤百福氏は台南市の隣にある嘉義県朴子市で生まれ育つ。
・台南市の中心部にある「西市場」には大正4(1915)年に営業を始めたという「阿瑞意麺」という老舗がある(チキンラーメンの販売開始・昭和33年(1958)より43年早い)
・老舗の名物は油で揚げた「意麺」。揚げた麺はいったん熱が冷めるまで待ってからビニール袋で包むと5日程度、保存できる(打ち立ての麺は2日しか持たない)。
・「阿瑞意麺」という老舗がインスタントラーメンの祖
・安藤百福氏が確立した「瞬間油熱乾燥法=油の熱で乾かす」方法を商業ベースで確立し、長期保存を可能にしたことが「発明」にあたる。
台湾では日清食品と日清フーズが同じ会社だと思っているらしい。
台湾での隠し子の認知訴訟はどうなったんだろ?
モモフクってカタカナで書かれると可愛いな…ゆるキャラの名前みたいだ
食糧難を体験したから
同じ思いをさせまいと今でも被災地の食糧支援続けてるんだよな
日清公式の安藤百福伝説はほとんどが嘘。彼が小屋に籠って即席麺の技術開発に明け暮れた、というのもまったくのデタラメ。即席麺というのは技術的には台湾の乾燥麺の応用でしかなく、台湾からの流入者を中心に、安藤以外にもたくさんの事業者が実用化に成功していた。安藤が成功できたのは特許対策と、合法違法問わずえげつない手段を使って対抗馬を徹底的に潰し、弱体化したら取り込むことで大手にのし上がった。自分が最大手になった途端、即席麺協会を作って会長になるあたり悪魔的な人物と言わざるをえない。大物創業者ってまあそういう人が多いんだろうけど。
それ以前に台湾でやってた方法では5日程度しか持たなかったから、単なる日持ちする麺でしかなかった。百福がもっと長期に保存できるように改良した結果が今のインスタントラーメンというカテゴリーを可能にしたのは間違いない。
対抗馬を潰したって言うけど、百福がチキンラーメンとして販売に成功したら同じ名前のコピー製品作る会社が乱立したのに対抗しただけじゃん。コピー製品作ってチキンは一般名詞だからって悪びれもしなかった連中は潰されて当たり前。
それと、おやつカンパニーの方が先と言うけど、製品として不完全だから消えて無くなったんだから、言っても意味ない。
当時の便乗のライバル会社は
粗悪品が横行していて死亡者も
多数出た。それで安藤さんは
社外秘のレシピを一般に公開した。
日本人も今の中国と同じことを
してたんだよ。人の命より金儲け。
台湾人の安藤さんはその辺が
日本人や中国人とは違ったわけ。
「日清製粉グループ」の前身は、1900年に群馬県で設立された館林製粉株式会社。その後、事業拡大のため、1908年に横浜の日清製粉株式会社と合併した時に、社名も変更された。
「日清オイリオグループ」の前身は、1907年に設立された「日清豆粕製造株式会社」
「日清食品グループ」は、1948年に株式会社中交総社として設立され、日清食品、明星食品、日清食品チルドなどの企業がある。
その後、チキンラーメンが開発された1958年に日清食品株式会社という社名になった。
ウィキ調べ!
館林製粉の正田家のお嬢様の美智子さんは有名ですね。
発明したのはたしかに台湾の方だし、
日本の食品業界の偉業だけど、
「戦後の食糧難~」は、
まったくのデタラメだな。
イベントのタイミングが全く違う。
チキンラーメン1958年発売で戦後の食糧難の時期ではない。救ったのは陛下の依頼を承諾したマッカーサー
1958年なら戦後の食糧難とは言わないまでも、
中華そばが30円(もう少し高かったかも)でも、
貧乏人(多くの一般家庭)にとってはご馳走だった。
結局即席めんの発明は台湾人の総合力なわけね
百福は台湾と日本のハイブリッド!
素晴らしいね
台湾は今も水から電解水として消毒液を作れるようにしたり、日本と同じように体と環境に優しい製品を作る研究をしている
日本も電解水に注目してて、石鹸なしで体が洗浄できたり、他にも衛生水なども作ってる
ちなみにイスラエル企業は空気から水を作れる
今度は日本国と台湾国でハイブリッド製品ができたら最高だね
イスラエルが空気から水を作って、その水を日台が衛生用品に変える
この工程までは現在可能にしている
即席ラーメンは、日本人の発明です。日本国籍を持っていれば、日本人ですよ。…終わり。
ユダヤ系満州人で思い出したが、
小栗虫太郎「完全犯罪」の主人公は
ユダヤ系ウズベク人の中華ソビエト
共和国西南軍(苗族共産軍)将校だったな。
敵を日本軍に設定してた彼が書いていた
のは戦時中だった。終戦直後に夭逝
した彼が戦後の日本を知らなかった
わけだが、少なくとも小栗には
当時の日本が「正義の味方」で
なかったのは間違いない。
実際に少数民族の苗族共産軍は日本軍を
撃破して日中戦争勝利に貢献してる。
苗族は日本人よりも遥かに優れていると
兵士だったお年寄りが自慢げに語る
ドキュメンタリーをナショジオで
見たよ。
記事と関係ないアカ小説の話持ち出して何が言いたいんだよクソパヨ
didn’t become a Japanese citizen until 1966を
シレっと”1966年まで日本国籍を貰えなかった”
訳す英語力www
チキンラーメンは食糧難を解決というより、
一人暮らしや核家族化をやりやすくした食べ物というイメージかな。
ちなみにカップラーメンは防寒具。
冬の凍えそうな現場やイベントの救世主。
韓国人だったら誰も信じないが、台湾人と聞くと普通に信じわな
ありがとう台湾!
百福さん以前にも即席麺はあったよ
百福さんが大ヒット商品を出して広まったのは事実だけど
1953年:村田製麺所(現・都一株式会社)が、即席麺に不可欠な「屈曲麺製法」を発明し特許をとる。
1955年:松田産業(現・おやつカンパニー)が「味付中華麺」を即席麺製品として開発。のちに製造過程で生じる麺のかけらを活用し「ベビーラーメン(現・ベビースターラーメン)」として商品化し人気となる。
1956年:第一次南極観測隊に東明商行の即席麺が持ち込まれる。
1958年:東明商行から即席ラーメンの長寿麺(麺を油で揚げ、スープに浸して味付けする製法)を発売。
1958年:大和通商が「鶏糸麺」を発売。湯をかけて食べることができた。
1958年8月25日: 日清食品の創業者・安藤百福が「瞬間油熱乾燥法」を発明し「チキンラーメン」を開発。
1958年12月18日 – 東明商行の創業者の張国文「味付乾麺の製法」を特許出願。この発明は、登録前に2,300万円で日清食品に買収された。
1959年: 安藤須磨が「即席ラーメンの製造法」を特許出願。1960年に出願公告される。
台湾系日本人の発明が台湾人の発明になるなら
日系アメリカ人のノーベル賞学者の研究成果は
アメリカ人ではなく日本人の功績になるな。
安藤氏は台湾系日本人だが、台湾ではインスタントラーメンを開発できなかったろう!
終戦時、蒋介石が毛沢東軍に追われ、大陸から乞食餓鬼軍団を率いて台湾に逃げ込み、台湾で出来上がっていた統治機構を厳しく抑え、反対者の大札陸を行った! 一方日本は新時代への希望に夢を膨らませつつあった。