As usual, Japan had to outweird everyone
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”いつもの事だけど、日本は他より特殊な形で進んでいる”
”マルティン・ルター:聖典を信者の言葉に翻訳していこう”
”ユダヤ教:先祖代々の言葉を用いていこう”
”イスラム教:信者に自分の言語を学ばせていこう”
”キリスト教:信者のほとんどが理解できない、宗教的な学問に特化した古い言語で説法していこう”
”日本:翻訳されていない外国語の文章を使い、一字一字を古代の自国の発音で、誰も理解できなくなるまで読んでいこう”
引用元:Reddit
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似た話を、隠れキリシタンのドキュメンタリーでも言ってたよ!Youtubeの動画だったかな
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おれも同じ事思った!でも、日本っていう国は、その国の特定の宗教で置き換えて語れないという事なのかもしれない
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日本が仏教と一緒に中国から持ってきた漢字は、今では中国で使っていない文字も多いらしい!その漢字の多くが、中国人がサンスクリット語を文字として表す為に割り振ったものだから!別の言い方をすれば、日本語のほとんどは宗教的な言葉で構成されているという事!
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日本語の書き言葉は少しなら中国の人も分かるらしい
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引用元:Reddit
コメント
日本は何事も形式化、様式化していくのが大好きな国民性だと思う
そのうち形骸化してものの役に立たなくなるが、それで構わないと思ってすらいる
でも結果的にはツールや知恵として機能するってのが面白いかも……南無阿弥陀仏って唱えりゃ救われるよくらいの雑さが本来救いとしては平和だよね。
お経唱えると高揚したり瞑想的な心地になったりするし、日本語で意味分かっても形骸化はするだろーけど、意味のわかる言語って時に脳みそに邪魔は邪魔。
まあ素考えなので知らんけど。
知識の有無に関わらず、誰もが往生を遂げられるよう、必死に知恵を絞り、かつ先導者としての傲慢さも排した、衆生平等の教えが「南無阿弥陀」だったかな。
修行した高僧であろうと、悟りには至らない。仏の教えの意味を理解できる者など誰一人いない=人は皆、凡夫である。
その境地に達したが故の形骸化が、法然の浄土宗の立着点なのだと個人的には思う。
マヌケ外人 何でもすぐ捨てる
日本人 未来永劫捨てない
でも日本の場合、外観を魔改造するから性質が悪い。
魔改造するから性質が悪い???悪い???
隠れキリシタンとか、キリスト教とは呼べない何かになってるし、仏教も元々の教えなんか1割も伝わってないだろう
原典を是とする観点から見ればたち悪かろう
呼び名とかはむしろ頻繁に変えるのが日本
差別用語置き換えが盛んだったりや党名ロンダリングもこういう発想が原点にある
ラテン語じゃん
ルターなんてラテン語を捨ててドイツ語の聖書を作ったのが手柄やん
日本のその精神はある意味で非合理的なんだよなぁ
物事を変えないっていうのは、合理的に物事を変えていくことの
弊害になってる場合も多々ある
効率を優先すると文化が死ぬから
産業革命~
合理ばっかりを追い求めると人間の心が蔑ろにされるんだよ
さらに合理性を追求すると人間自体がいらないって結論に到達する
いいところもある。
知りたいと強く思うものが遡れる。
それが「そのまま保管される良さ」
たいして興味が無ければ、型通りでも済むし
変化を無くして保管する事で、少なくとも調べやすくなる。
写経しても、語り継がれる物はそのままなのでね。
理解した時に、釈迦がなぜ残さなかっのかも分かる。
でも、背景として残された仏教の教えは、軌跡をたどるのに有効だった。
ああお経の事か
お経何言ってるかわからなかったけどインド語混じりだったのか
サンスクリットだったんだが中国に渡って
色々翻訳されてる(らしい)
あの三蔵法師が関わってる
分かり難い日本語も、サンスクリットに詳しい人だと解明できたりする。
儒教汚染されてる
夫は妻に尽くせ→儒教的にアウトなんで書き換えますね~→妻は夫に尽くせ
インド語(サンスクリッド語)だぞ。
中国によるインド語の音写(聞こえたままをそのまま自国の文字で書き起こしたもの)をそのまま読んでる。
般若心経の最後の方なんかもろにそうだよね。
ぎゃーてーぎゃーてー
はーらーぎゃーてー
ぼーじーそわかー
あの独特の音階とかは徐々にあの形に変化して定着したのか
初期の広めた僧の言い回しが定着したのか
日本に伝わる前から、ああだったのか
どうなんだろうね
日本人は宗教を「胡散臭いマナー講師」くらいにしか思ってない。
生活の中で役立つものでもないし付き合うものでもない。
たまに格式ばった儀式に出る事になった際のマナーを決めてる存在ってだけ。
日本人にとっての宗教は「新興宗教」。日本人はキリスト教もユダヤ教もイスラム教も仏教もヒンドゥー教も、宗教とは認識してない。これらは歴史・文化であり宗教には当たらず、宗教とは幸福の科学や創価学会やオウム真理教や天理教などの新興宗教のみを差し、ゆえに大半の人は押しなべて「宗教は胡散臭いもの」と考える。
日本人は古来、先祖崇拝、自然崇拝が習慣だった。
というより古代にはそういう文化が主流だったと思う。
うちはキリスト教だったけど、保育園はお寺さんだったし、七五三も行ってたし、お米には神様が宿ってるとか、「お天道様が見てる」っていう感覚があった。
神を信じるかどうかは自由だと思うけど、信仰を盾に攻撃したり簒奪したりするのを宗教っていうのは違うと思うわ
日本人て無宗教がほとんどだけど
ガチの無神論者って比較的少ないと思う
自然崇拝とかその手の割と原始的な感覚を無意識に薄ーく持った人が多い民族かなと
神仏そのものは祈っても大して当てにならないが
宗教団体というものは大量の人間が出入りするので
情報センターとして非常に有用だった。
祭祀、医療、暦、商業、農業、時には武器調達や傭兵といった機能すら果たした
「ただの胡散臭い団体」が千年以上も存続できるわけがないんで・・・
日本人の性格だな。例えばこんな感じだ。
領地「税金寄越せ、法律守れ」→領民「だが、断る!!」
宗教「寄付くれ、戒律従え」→信者「喜んで、了解www」
だから日本の場合、ローカルの行政に宗教が深く関わっていた。
宗教「寄付くれ、戒律従え」→信者「だが断る、つか生臭のくせに生意気だ」
やで
廃仏棄却を経ての今の日本の宗教観なんだからさ、あと戒律や戒壇なんて平安時代の最澄や空海の時代から平然と無視ているのが日本の宗教者やで
坊主は最初っから全力で金と権力に群がってるよね
集金の為によその宗派を真似してウチも祈祷しよっか!とか普通にやってるし
信長がブチ切れるレベルで生臭い
そもそも仏教自体が儀式めいた類の物なかったけど、信者受け良いらしいからと他宗教から取り込んだりしたらしいからなぁ
仏教は国策として輸入された
日本に旧来からあった神道は、死後の世界について全く救いが無く、しかも死を汚れたモノとしていたため、例えば帝が死ぬ度に遷都しないといけない非効率
仏教によって死後の輪廻の概念が組み込まれて、死が100%ネガティブな存在では無くなり、様々なタブーが解禁された
仏教を取り入れるようになった時代って、神道とは別の宗教感じゃないの
死後は船に乗ってよい世界へ行く…って言う
石棺や前方後円墳もそれを表したもの
お経わからなくないよ漢語だから読もうと思えば読める
外国人には中国人以外読めないだろうけど
外国語のままの方が神秘的じゃない?とかそんな理由で深い意味はないよ
昔は上流階級は漢語読めるのが普通だったんだし
真言が理解できるとは凄いな
お経と真言は別物だろ。日本国内に入ってきた仏教経典のほとんどは漢訳経典なんだから、あなたの書いたことは的外れ。
真言宗のお経とか、サンスクリット語そのものじゃないけど日本の言葉でもない謎言語だからな
サンスクリット語の知識があるインド人からすると日本のお経のフレーズにはちょくちょく聞き覚えのある単語が入ってるってことか?面白いな。
はんにゃーはらーみたーって聞いてわかるんかね?
逆にすごいわw
隠れキリシタンもなんかようわからん日本語の歌みたいになってるけど
あれ、カトリックの本家の人が聞くとわかるみたいね
スペイン語かラテン語かはわかんないけど
すげーわー
サンスクリット語は
ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてーはらそうぎゃーてーぼーじーそわか
の部分だと思う
観自在菩薩から即説呪曰までは漢文。三蔵法師(玄奘)が西域取経して訳したとか
まじですか、、
すごいし面白いですね。
YouTubeにチベット語の般若心経読誦動画とかありますよ。日本のどこかのお寺での交流イベントみたいな感じ
ぜんぜんわからんけど終わりの方で「ガテガテパラガテ~(羯諦羯諦波羅羯諦)」と唱え出したので、ああやっぱ般若心経だわと思った。チベットも呪(真言)の部分は訳さずに音訳のようです
ラテン語だったはず
本家の方ではすっかり廃れて歌われなくなったのを
ずっと伝え続けていたとかなんとか
ラテン語習得した、神学者しか分からないのでは?
あなかしこ とかわかるやろ
日本:翻訳されていない外国語の文章を使い、一字一字を古代の自国の発音で、誰も理解できなくなるまで読んでいこう”
全然意味分からないんだが、皆理解してるの?
日本人の大多数はイベント時だけ宗教取り入れて普段は無宗教ってパターンでしょ。
イベント以外はありとあらゆる宗教的行為は一切しないとか、そんなの不可能やぞ
仏教で読み上げるお経の元が、インドのサンスクリット語(翻訳されてない外国語の文章)
それを文字ではなく、耳で聞いて、古代の日本人が中国から伝わった漢字を当て字していって出来上がったのが、現在に伝わるお経(一字一句を古代の自国の発音で)
んで、現代でお経を読む一般人もそれなりにいるけれど、実際にサンスクリット語で表現しているお経の中身自体への理解は薄い(誰も理解できない)・・・って感じ?
サンスクリットのお経>古代(当時の)日本の発音で記憶(耳コピ)>中国から伝わった漢字で当て字(四露死苦)>日本のお経の完成という流れ。
これもおもてなしと言霊を信じた結果なんだろうか?ww
要は、神(仏)様に伝わる音でなければ、発したところで聞いてもらえないから
一生懸命発音を覚え記したって事だよね。
そう言われると凄く説得力がありますね、お経は仏様語で唱えてるんですね。
なるほどそういう意味か。解説聞いても難しいけどな。外人も多分正しく意味を捉えてる人はあまりいないだろうな。何となく日本が面白い概念を発信してるくらいの理解だろう。
成る程なー。解説助かる。
隠れキリシタンのオラショもこれに該当するのかな
本国に残って無かったのに日本のお教(キリシタン仕様)聞いて逆翻訳(賛歌再現)した話は胸アツ
まじやん。日本人って一致団結できれば対象はなんでもいいってことなのかな。
神格化って意味では教義を難読化するってかなり有効だと思う。
—-
オラショは、パライソ(天国)やインフェルノ(地獄)の教えが、隠れキリシタン(カクレキリシタン)によって300年間あまり、口伝えに伝承されたものである。カクレキリシタンにとって、オラショは一種の呪文のようなものであり、意味内容を理解した上で唱えられているものとは言えず、「基本的には一つの行として、暗記して唱えること自体が重要なことであって、意味そのものを理解することにはほとんど関心がない」という
「耳コピ」からの「夜露死苦」が分かりやすすぎるww
この理解は間違ってる
仏教の経典は偽経と言われるフェイク以外は全て中国で翻訳されたものを用いてる
原典を重んじる精神は現代でも尊重されるべきで、日本で翻訳されたものはお経としては使われてないよ
外国人の言う「無宗教」って言葉の意味をよく知ろう
彼らの内の大半にあたる一神教(キリスト・ユダヤ・イスラム)の文化圏にとって「唯一絶対の神」を肯定してない人は「無神論者」になり、そういう人の多い日本は「無宗教」と言われる。
しかし実際には日本人の多くは仏教と神道の宗教徒と言ってよいくらいにその影響下にある。ただこれらの場合一神教と違って上の一人のコメに言うように「日本だけ宗教をツールとして使いこなしてる感ある」、つまり宗教が色濃く出てくる場面と分かれてる。
一神教は神(人類をはじめとする万物の創造者)の下に人類はそのしもべという意識で、だから人類の支配者たる神の言うとおりに行動すべしって物だから善悪基準も神になる。神が良しと言えば黒人を人類扱いせず奴隷にしてもよく、神が悪といえば犬や猫に好かれてるだけの人を魔女と呼び火あぶりにする。別の見方をするなら一神教徒は神に判断基準を依存してるって事。
仏教は善悪をはじめ行動基準を自分の内に求める。いうなれば自分の内深くに哲学しながら潜って行き結論を見出すもの。お釈迦様の「悟り」ってのもそういう事。
神道に至っては人としての善悪基準とかほぼ関係なく絶対的な恐れ多い力を持つ神様(大自然などの未知なる力)とのお付き合いの仕方を作法・ルール化した物。
だから仏教・神道「信者」が多い日本人の行動は一神教徒からは「無宗教」に見えるってだけ。
そんなもの言われなくても、分かってるわボケが。
無宗教=唯物論=共産主義じゃ。
横からだが、バカ言うなよ。 人のタヒを悼(イタ)む事がすでにレッキとした宗教であり、無宗教とはそうした心すら持たない機械•虫ケラやw
で、無神論自体がすでに宗教の一派であり、主に2つあり、1つは霊魂を信じるサタニズム(悪魔崇拝)で、もう1つが唯物論に立って霊魂も信じないグローバル極左でもある共産主義(マルクス流社会主義)の看板を掲げるマルクス教カルトで、そのくせに「ウリたちは科学ニ.ダァァァ」と詐称する詐欺師で、その隠れ信者が似非リベラルである
なお、日本人の大多数は、自然に加えて後の付喪(ツクモ)神のように人工物もふくめた精霊崇拝(アニミズム)と祖霊崇拝からなる神道をベースに、怨霊化を防いで成仏させ得るとして仏教が混じった混交(コウ)宗教だから、特定宗派には属さない「無宗派」だな
>一神教は神(人類をはじめとする万物の創造者)の下に人類はそのしもべという意識で、だから人類の支配者たる神の言うとおりに行動すべしって物だから善悪基準も神になる。神が良しと言えば黒人を人類扱いせず奴隷にしてもよく、神が悪といえば犬や猫に好かれてるだけの人を魔女と呼び火あぶりにする。別の見方をするなら一神教徒は神に判断基準を依存してるって事。
ここは宗教屋がやったことで、本来伝えたかった事じゃないだろ。
宗教屋が信者を依存させる為には、ホント都合のいいやり方だよ。
日本人は無宗教っていうのは大きな間違いでは無いかも知れないけれど、少なくとも正しくはないですよ。
それは日本人の宗教観があまりにも自然過ぎて自覚が無い事と、外国人が日本の事を良く知らなかった故の誤解です。
日本人は八百万の神々とナチュラルに生き過ぎてて、”毎日お祈りをしなきゃ””これは食べて良いけどこれはダメだ”みたいな外国の宗教からすると宗教じゃなく見えるんです。
もし神道も宗教だと仮定するなら日本人の生活に神道が入ってないところはない
日本の宗教は神仏のためではなく人間のためにあるからな
お経や祝詞は人間がその意味を詳細に理解して神仏を信仰するためのものではなく、「なんかそれっぽい儀式をするための言葉」としての趣が強い
日常会話で使う言葉に訳すと「それっぽさ」が薄れて平凡になってしまうから、日本の宗教観には合っていないんだろう
仏教に関していえばその通りだけど、神道には全く当てはまらないな。
ですね。
神道はあまりにも身の回りにも思想的にもナチュラルに溢れ過ぎてて意識していないだけ。
つまり日本人は産まれた時から宗教の極意みたいな世界に生きてるんです。
外国人からしたら日本人の倫理観って皆偉い宗教家レベルらしいですよ。
国民総ジェダイマスターって訳です笑
日本人は天照大御神の子供ですから、
日本の国旗は、その象徴で一隅を照らす光なんだと思う。
日本神話・神道では人間がいつ誕生したかは描かれていないのよ
イザナミイザナギらが大地を作った時に草のように生えてきたとされている、この時点で人=神で人から上位の神格が無くなったのは寿命が設定せれてから
広義のえは事象現象全て神なんで世界で唯一人=神の宗教ですが
いや、別の神の子孫も普通にいるから。諏訪とか宗像とか物部、賀茂全て天照大神以外の天津神系、国津神系ですし。皇室はほかの神のお子さん達をお預かりしてる立場なのでしょ。
こういうシステムを作り出し、そして維持してきた先人たちに感謝の他無いわ..ほんとありがたい。
昔からお経は翻訳して唱えればいいのにと思ってた。
お経や念仏は発音も同じにしないと仏的な効力を持たないということなのかなあ。
いやー、死んで仏様になってるご先祖様も生きてる人と同じ日本人だし、
外国語のお経なんて唱えられても実は全く意味分かんないと思うよ。
死んだら外国語が分かるようになるとも思えんし。
自分もお経を聞きながらまったく同じこと思った、「死んだらいきなり外国語がわかるんかい」って思いながら有難いお経聞いてたわ。
死ぬとハードが変わるからそのままの日本語だと認識できなくなってるとか。
翻訳すると意味が変わってしまったり違う解釈が独り歩きしてしまうのを嫌うみたい
初めのころはサンスクリット語に翻訳することをかなり嫌がってたり議論を呼んでたらしい
信者が皆読んで学習しようって経典じゃないしな。
坊さんが有り難いお経唱えてくれたら皆救われる他力本願のカジュアル仏教、つまり大乗仏教だし。坊さんは坊さんで一般大衆が理解できない読経ができることでドヤれる訳だし。
日本に限らずタイなんかの仏教も一緒。
タイ語の半数以上の文字がサンスクリット語とパーリ語から由来で、タイ全土の各省の地名には3分の2以上がサンスクリット語とパーリ語が使用されており、お寺でお坊さんがお経を一節唱えると、唱和するスタイルなので、一般大衆には、書き言葉で難しい言葉だけど、日本よりも理解できていると思う。
生き方のガイドラインはすでに自分たちの中(習慣、観念、歴史)にあるのに、なんでツールである宗教をガイドラインにせにゃならんのかw
もやもやして言語化(認識)できないこの思いはなんだ?
⇒ツール(先達の教え、歌、物語、宗教)を通して「こういう観念だったのか」と腑に落ちる
あくまで認識補助の道具なのに便利だからか都合がいいからなのか、かそれ自体をガイドラインにしてしまってる文化圏も多いよな
ツールである宗教を深く学ぶことで絵画や音楽、文学など表現が洗練される面もあるんだろうけどさ
生き方のガイドラインはすでに自分たちの中(習慣、観念、歴史)にある
これがこの星だととんでもなく特殊なんですよ。
それって八百万の神々と歴史を大切にしながら生きて来た日本人だからこそ待てる感覚であって、胸を張ってそれを言える貴方自身が既に悟りを開いてるっていうのが真実なのかと。
ガイドラインが既に存在していたから仏教を呪文として採り入れられたんだろうかね
本来なら仏教こそ生活に直結するガイドライン的でしかも生きた言葉で残せ。とされていて、八百万の神の方が観念的でかなり抽象的なはずなのに
本来の仏教てシャカによる人助け(食料増産と宗教によって人が死ぬ事を防ぐ)で経典すら存在しないやん、シャカの悟りだって1月修行したけどミルク粥食べて「おいしい」は正義、食は世界を救う!修行とか宗教行事とかゴミ!これが悟り!
はい完成の人やぞ
シャカ本人は神道に大分近い
抽象的な表現になるけど、外国人は「神の声が聞こえない」らしい
だから誰も見てないと思ってるところでは平気で悪事を行えるとかなんとか
太古の時代には聴こえてたらしいけど判明なのかなんなのかなんらかの理由で退化したとか
判明→文明
欧州やあの辺で広まってる宗教
~~~みたいな事をして生きなければ非人間や!非人間だから家畜以下
教えから外れるな!これは神の言葉である!!
それ以外の地域の宗教
楽に生きていく方法をまとめてみたよ
これ以外にも楽に生きていけるならそれも歓迎やで!
ブッダなんか転生自体めんどくせーから魂消滅させようぜ!だもんなぁ
3000年どころか一万年は先に行ってるわ
仏教徒ですら大半が理解できてなくて天国に行く事ばっかりにかまけてるし
お経は翻訳すると長くなって音読しにくい。
和讃といってお経の思想を日本語の歌にしたものも平安時代からあり、あれも準お経と言えなくもないけど。
仏教漢文もコツもつかめば読めるようになるのでそんなに難しくはない(自分も漢文でお経が読める)。
お経自体の「日本語訳」が前近代だと江戸時代に少し試みられただけだったのは、文章が基本的にはお経の読み下しと同じ文語であり、お経の内容を知りたがるぐらいの知識階級なら用意に読み下して理解出来たからだろう。
中国語で書かれたお経自体が、サンスクリット語を意訳と音写で混合したものだから、日本もバカ正直に音読みしないで意訳すればいいのに。
もちろんインド固有のものは、中国のようにサンスクリット語を音写すればいいし。
翻訳を繰り返すと情報として劣化していくので、わからないままに形をなぞるのもそれはそれで誠実な向き合い方なのかもしれない
単なる儀式用のツールなんだから、内容を理解する必要はないし、
意味不明な方が有難味があるのであろう。
日本も含め世界中どの宗教も成り立ちは似たようなものだけど、
多くは組織化して体制への指標となって止まる。
日本人は伝統に価値を見出す傾向が強いので、
良くも悪くも人が織りなす伝統への趣向でしかないので何でもいいんですよ
>宗教観の話でいうと、チベット語も宗教観から独自の進化をしてる・・・
日本もチベットも男性が受け継ぐY遺伝子が(モンゴロイド9%)のハプロタイプDだけあるなぁ。
本スレ>13の対極、韓国のみのだってバレバレだろ
抱き合う勾玉は本来は縦になっている
腐れ韓国の対極は横向きで風水的に大凶なんだよアホ
中国がちゃんと躾けて正してやれよ
お経=マキシマムザホルモン
聞いてても意味わからんが字幕つけてくれると意味が分かるw
光明真言梵語:オーン アモーグァ ヴィーロチャナー マハームッドッラ マニ パッドゥマ ジュバラ プラバルッタヤ フーン
光明真言日本語:おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
般若心経結びの真言梵語:ガティー ガティー パラガティー パラサンガティー ボディスヴァ―ハ
般若心経結びの真言日本語:ぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー はらそうぎゃーてー ぼーじーそわか
みたいなこと?
一番下は沖縄弁ですって言われたら信じる
ヴィローチャナーが毘盧遮那仏(大日如来)だっていうのは判る。
お経なんて宗教というほどのものでもない
死者がちゃんと成仏してくれるようにガイドしてくれるのがお経
まぁ送り出す側が心を鎮めるためのおまじないだよ
それって本来の仏教とはちゃいますよ
死者がちゃんと成仏っていっても
仏に成ろうという欲も捨てて悟りを開いて輪廻から解脱しようぜ、というのがシャカの教え。供養とか心を鎮めるためだとか、そういう欲も捨てなくてはいけないという厳しい教えなんや。だから今でも鳥葬みたいな事が行われているのよ。
なんでそうなったかというと、日本の神道には死後の救いが無かったのを補完するために輸入されたのが仏教だから
結果として死後の世界(とその後の輪廻転生)の部分を仏教のやり方で行う日本独自形式が生まれた
輪廻転生とは、亡くなって生まれ変わると言われたりしてるけど
実際には、日々刻々と過ごす中に存在してる。
釈迦は、生きながらにして解脱するのは輪廻転生から外れるため。
つまり霊的に生まれ変わるって話し。
欲まみれの生き方を見直し、王道を生きること。
だから仏教にも死後は無いんだけど、日本人が作り出した。
救われない時代の、心の救いとしてね。
儒教はない
日本人の感覚の儒教と、いわゆる朝鮮儒教はまっっっったく別物ですよー
卒塔婆に書かれてる梵字なんて古代インド語で現地では死滅した言語
仏教の真言(マントラ)はサンスクリット語の音訳だもんな
無神論じゃねーよ
無宗教なんだよ
日本の宗教観は欧米と異なりますが、無宗教という事ではない。
塀に开や卍を描くだけで立小便されないのも、日本独自の宗教観によるものです。
だからそれが無宗教だろうが
特定の宗教を信じてないが神や宗教観を持ってるんだよ
無とは一体(ウゴゴー
それは無宗教というより汎用宗教では
八百万の神々を持つ日本人の普通の宗教観ですね
無宗教ではない、多神教です
無宗教と言ってる奴はクソだよなぁ なんせ人のタヒを悼(イタ)む事自体がすでにレッキとした宗教であり、無宗教とは機械や虫ケラやw
無神論も宗教の一派だが、サタニズム(悪魔崇拝)も唯物論(グローバル極左の共産主義)も、ドチラも害毒だしw
で、日本人の大多数は多神教では無いぞ。精霊崇拝(アニミズム)と祖霊崇拝という多神教の神道を土台に仏教が混交してるので、特定宗教には属さない「無宗派」というべきだね
それは宗教観じゃなくて信仰
日本人の宗教感と外国人の宗教感が違い過ぎるだけですよ。
初詣、お祭、お盆、節句、願掛け、どれも宗教行事ですし、
お天道様が見てる/因果応報/利他の精神っていう感覚も外国人からすると宗教的な感覚です。
しかも日本の八百万の神様は器量が大きい神様が多いので、イエス様の誕生日を祝っても怒りません。
これでも自分は無宗教だ!って言えますか?
何だかよくわからんがヨシ!を地で行ってるイメージ
何言ってるか分からないからこそ何か高尚な事言ってるんだろうなって感じで受け入れてる
なんつーか、素材の味をそのままにの精神では
経典の内容の理解は坊主とか専門職がやって、庶民は説法を通してこれを知る
そんでありがたい(らしい)お経は
読経や写経においては、その音韻や文字を改めると神秘性が損なわれる気がするから敢えて日本語に直さんでおく
実際どうだか知らんが
日本人は最後には神道の八百万の神の概念に行き、なんでも並列神様の一つなのでとりあえず拝んでおこうという意識だからな。
なので神といっても西洋でいう絶対神はいないし、無神論者ともとれるが、といって無神論者のように神を信じずに山を荒らしたり、ポイ捨てすることには抵抗感をもつ、どこかで神様がみていて神罰が下ると思っている
どう考えても日本人の大半は神道的価値観に基づく宗教観を持っている
不法投棄をさせないために勝手に作った何の所縁もない鳥居でも、あるとなんとなくゴミを捨てられなくなるのもそうだな
それをあちらさんで単なる「迷信」とくくられてしまうのが解せないが
日本の神様は祟るしね…。オカルト信じなくても祟り神はなんか怖いわ。
・お天道様が見ている
・因果応報
・利他の精神
この辺の意識は日本人は本当に強いですよね。
そしてそれはこの星ではかなり特殊です。日本にいるとあまり意識しないですけど、ガチで国民の大多数が、海外のかなりレベルの高い宗教家みたいな境地に達してると思いますよ笑
言霊を知らない人達が多過ぎる。
一文字一文字に力があって訳せとかそういう事じゃないんだよ。
それなw
儒教なんかねーよ。
どっから引っ張り出してきた?って思ったわ。
儒教は確実にあるよ
年寄りを敬うとか、兄貴を立てるとか
お前さんが考えている半島のアレとは微妙に違う
あと神道との親和性が高くて陰陽道にも影響を与えたのよ?
徳川家が統治のツールとして結構引用したからね
染み付いてるとこある
昔からお経はライブ感が大事にされたんだっけか?
ここのコメ欄の、理解度(噛み砕いた説明)が物凄く参考になるww
でも、「これでいいのだ」が結論になってる気がしないでもないけどw
それこそが日本人の宗教感ではw
神道と大乗仏教のミックスって感じですかね。
ニコニコ笑ってる八百万の神々が浮かんだら、外国人からしたら貴方は無宗教ではないですw
幽霊が出たら、とりあえず「なんまいだぶ、なんまいだぶ、って唱えていれば消えてくれる、くらいの知識しかない。
繰り返しているうちに心が空っぽになって解脱へとつながる
のかもしれないが
よくわからないものに神秘的な響きを感じる中二的な感覚が当時からあったのかも
昔、音痴のお坊さんがどうしてもお経を上手によめなくて、お坊さんになるのを諦めたって話を聞いた事がある。
若い頃はピンと来なかったんだけど、年食って身内やら近所知人のお葬式に再々行くことになってお経を何度も聞いていると、やっぱり上手い下手があるんだよね。
下手なお経は何となく有難み的なものがない。
上手いお経は聞いてると頭空っぽになって「無」になっていく感覚がある。お経の意味が分かったら、この「無」な感じはなくなっちゃうんじゃなかろうか。
知らんけど。
仏の教えって、最終的には「無の境地」に至るようなものだから、言葉で説明できんのよね。
お経は仏様の教えのテキストだけど、たいてい最後には「言葉では説明しきれないから実践あるのみ」って感じで終わる。
なので、お坊さんたちは念仏をひたすら唱えてトランス状態になって無の境地に至ろうとする。
したがってお経が意味不明の呪文であっても、何の問題も無いし、むしろそっちの方が好都合なのである。
お経は脳のマッサージだから、響きが重要、その細かな振動が耳から脳へ伝わり、いい影響を与えるw
儒教は学問として日本に伝わってきたし朱子学って新しい学問に変わった
宗教というよりは思想の一部が日本人に少しだけ残ってる感じ
仁、義、礼、智、信の五常、これが儒教
一般的でない事は確か
仏教の事か、返り点を使った読み下しってのがあって、幾つかの用語を憶えれば読める。
門徒物知らずなんで深くは読んでないが、日本語の念仏の中に要約が入っている。
漢字を忘れたミンジョクには判らんのだろうな~
神道の事にも触れているか、平安文学より古い日本語なので、理解できるぞ。
日本に神道と仏教徒はいても儒教は超極々少数だろ。知ったかぶりしやがって
日本人の大多数はソレ等が混交して特定宗教に属さない「無宗派」だよ
儒教はもう大体邪教として日本人には捨てられてるな
なんでも受け入れる日本人にしては珍しく
宗教や宗派、個人に依って異なるけど日本人って「個人を超越したものは神」、例えそれが敵でも味方でも善でも悪でも福でも災いでも…、そこに仏教的な考えで「煩悩を捨てる=仏」みたいな解釈で育ててくれた両親は勿論、幼く亡くなった子でも尊い存在になったと。
取り敢えずメソメソ泣くより前向きな良い考え方だと思う。
日本の伝統的な宗教は仏教。神道はおまじないとか慣習の域を出ない。
天皇もずっと仏教徒だった。
神道は仏教伝来前から存在します
ただ、仏教伝来から明治の廃仏毀釈まで仏教と神道はかなり混じり合っていたという
古い神社に仏像が安置されていたり
古い仏教寺院の片隅に鳥居&神社が建立されてたり
バカ丸出しw
日本人の大多数の宗教のベースは神道だが、コレは精霊崇拝(アニミズム)と祖霊崇拝からなっていたし、第1に、天皇は神道の神主総長でもある
ただ、上皇になれば仏教にも帰依でき、その場合は法王と呼ぶんだぞ
残念ながら儒教あるんだわ
昔の日本仏教の教科書の一つに儒教入ってる
先祖を敬う墓参りなんかまさにそれな
サンスクリット語由来は密教だよな
音に意味があるんだったような
儒教は死後の世界は扱いません。
日本の儒教は福沢諭吉みたいに中華の影響を良しとしなかった人間もいるくらいなので学問レベルで止まっている。これが宗教や社会儀礼レベルにまでなっていたら中韓みたいに年上なら無条件に敬ったり威張り散らして良い文化になっているよ。
毎月正信偈を読経していたら、ムスリムの気持ちが少し判った気がする。
ユダヤ教で言う所の「先祖代々の言葉」よりも、発音まで正確に判る言語としては、神道の祝詞が古いんじゃないかな。
口頭伝授と宣命体の文書があるから、これで万葉仮名が解けたわけだが。
「唐音で正しくお経を読みましょう」運動があって、日本語の方に唐音が加わったから、仏教経典の読みは、古代日本語の発音とは少し違うんだな。
日本人でも知っている人は少ないだろうけど。
死ぬまで追い求めるにはミステリアスでないとなw
サイトウ寝具店(sightseeing)と同じ匂いがする。
「バルサミコ酢やっぱ要らへんで」やで。
子曰学而時習之不亦説乎から学習って言葉が出来たから、最初はマジナイでも何でも良いから読むところから。
上の方で「儒教、儒教」って書いているヤツは、一回論語でも読めば~
本人が無神論者や無宗教者だと言っても、何かを無意識に信じてたり、信じようとしてたりする日本人。(ツンデレのときもある。全人類そうかもしれない。)
本当の無神論者や無宗教者は嫌われる。
伝統的なものを破壊したがるし、尊重心がなく、無作法だから。
原理主義者も破壊したがるから嫌われる。
西洋ではガチの無神論無宗教家は悪魔崇拝者として扱われるんだよな
それくらいガチの無神論無宗教者はやばい
一番身近な例が共産主義者だといえば大体の人はそう自称することを考え直す
一神教は俺らの宗教以外全部クソって言ってるようなもんだからな
日本の懐の深さが理解できないんだろう
お前の浅い理解は好きにすればいいが、一神教が無ければ例えば人権という概念すら生まれていない
キリスト教は色々欠点も目立つが、結果論とはいえ、神の元では人間は平等という部分が生み出したモノの恩恵も計り知れない
まあキリスト教徒自身が、その価値を正しく自覚しておらず、使いこなせていないのも否定はしない
人権や平等という概念は、ね
生み出したことでかえって人間が狂ったような気がしなくもないけど
とはいえ神道のもとでも人間は等しく無価値だし
自然環境に食われたくなかったら己の生きる権利を指し示せと暗に言ってるような気がしなくもない
般若心経とかpaññā Pāramitā 心経だからな。
(サンスクリット語で事物や道理を見抜く深い智慧を意味する語)
(サンスクリット語で悟り・彼岸に至るための行為を意味する語)
心経(重要な教え)
宗教をツールとして使うのであれば、
他の人が他のツールを使っていても受け入れられるが、
人生のベースにしてしまうと、宗教の否定が、
その人の存在の否定になってしまう
行き着く先はならば戦争だしかない
自然との関わりは神道で、人と人の関わりは仏教で、組織を形成するときは儒学と。
道・教・学って所がミソ、日本教は優柔不断だんですw
確かに意味不明な文化だよなぁ
素読の文化とかもこれと関係してるのかも
いやそんなことを言えば梵字なんておそらく本場インドでも廃れてる文字を
現代でも卒塔婆とかで現役で使ってるぞ、日本は
日本人的には仏教の教えなんかどうでもいいというか
細かいことは坊さんが説法と言う形で教えてくれるんだから
原典なんか気にしてない
だいたい釈迦が言ったとされるのは色即是空空即是色くらいで
後は全部後の人の解釈だろう
結果、
日本だけ手ぇ10本あるし
頭に木ぃ生えとるぞ!
なんか一番効いてるかも!?
(0゚・∀・)wktk
他の宗教は聞きかじった情報だけでピンと来るのに、日本だけ東大生の小論文くらいピンと来なくて草
葬式の時の宗派くらいしか他者と共有しないから、家族内か古い地域内でしか宗教を言語化しないせいで、一般的には自身が触れたイメージで宗教を捉えているからかも知れないw
宗教は一神教ですら全て根源的には人間と自然(宇宙の摂理みたいな意味での。≒一神教の場合それを生み出したと人間が想像し設定した創造主)との関係を示してる。
原始的な宗教がほぼ全て身近な自然崇拝な理由がこれで一神教も教義が成立する以前の発生当初には自然崇拝や自然に対する畏怖を慣習法的に説いてる。有名なイスラムの戒律なども当初の意味は厳しい砂漠地帯で生きる為の殆どが生活の知恵。
現代宗教(キリスト教などやもっと現代の新興宗教含めほぼ一神教か神の生まれ変わりを崇め畏れよとするもの)は教義が成立する過程で統治や教化の必然性から人を説得するための学問や論理構成を都合よく誤魔化し作ってるが言語の様式化や形式化と言うのはそれらを伝える意味での言語としては意味の無い記号化することで逆説的にその根源的な部分で感覚でしか捉え難い訳のわからないものへの畏怖や信仰などのエッセンスのみ抽出出来る手法だと思われる。これは高尚に見せかける為に宗教関係者側がわざとそうした部分もあると思われるが結果として「何かわからないが有り難いもの」と言う事を受け入れられる素地が無いと成立し難い。良く言われるように平均的日本人は宗教者から言わせれば無神論者で科学的なのに、世界の中でも迷信深いほうで暗いトイレに行くのに存在を信じ無いオバケを怖がり幽霊は非科学的と考えつつもある意味で霊魂は有りそうだと思いそういう事もあるかもと潜在的に思っている一見矛盾した感覚を持っている。
これは無神論者と言われるのに生活の節目には未だに神社やお寺へ行く事と無縁ではなく単によく言われる宗教ではなく生活慣習に近いと言うだけでは説明不足。
結論言えば教育が行き届き科学的で地球が丸いとほぼ100%が信じる日本と言う国は世界でも有数に自然が良い意味でも悪い意味でもすぐ近くにあり人間の思惑とは無関係に恩恵や災害を起こす絶対存在だと無意識下で刷り込まれてるからと思われる。この為に言われなくても潜在的に自然を畏怖していて畏敬している。日本の宗教はあえて言うなら仏教ではなく神道だけどほとんど強制力もなく生活にも無関係(神道も氏子制があり祭りと密接な関係はあるがお墓と密接な関係をもつ檀家制の仏教のシステムほど現代では強くも無いし物理的に破棄しやすいシステムなので本来歴史の中で衰退して存続してなくてもおかしく無い)のに未だに敢えて日本の国の宗教と言えば神道になるのは単に天皇陛下が祭祀トップだからではなく日本人がこの生活慣習的な人間が共生の為に決めた形式や様式の決め事の背景に古代から続く人間の思惑とは無関係な自然を通して絶対無二なもの、宗教で言う絶対神、哲学的な絶対存在、大いなる意思や存在とでも言う訳のわからない論理的には説明のつかないものを潜在的に見ているからだろう。
現代宗教は教義を成立させる過程で人間の思惑を取り込んだので本来の姿から遠く離れたが神道と言う現代の概念では宗教なのかも怪しいものが世界でも稀なほど現代まで原始的な宗教の形を形骸化したカタとすることで概念として存続させているのは一部の現代社会と隔絶された部族レベルの宗教以外現代社会では稀有な例なのでそう言う意味で特殊と言える。
そもそもお経ってのは「生き方」を説いたもんだ。
こういう風に考えなさい、こんな事はやっちゃいけない、そんな事が書いてある。
死者を送る呪文じゃねえぞ。
お経は呪文だし使ってる梵字はファンタジー的なルーン文字みたいな物であって、言語ツールとして持ってきた訳じゃ無いからなぁ。
読経はお堂の中で響かせて一種の催眠誘導とか引き越すような感じになってて軽いトランスみたいな状態にもっていくとか言われたりするんで、あれは読み上げたときの響きを重要視してるんだと思われる。
別に紙の上では訳した物とかあるしなぁ…
現代インド人に2万人近くサンスクリット語話者が存在するらしいが日本のお経を聞かせてどんな反応するか見てみたいな
まさかの大体わかるだったら面白い
タモリ倶楽部であるような、外国の歌なのに何故か日本語に聞こえる歌詞がある的な感覚が近いと思う
ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてーなんて言われてもわからんしな
神道は神道で、詔の昔言葉なんて今と意味が違うのが多いから完全に理解するのは無理だし
神道は仏教みたいに派閥がない。
商業主義ではないってことだ。
いや、もとい。
神社も色々あるし、鞍替えも普通にあったな。
神社って土着の神(その地域で最も有力な神)をまつったものだからな。
(伊勢神宮や浅間神社のようなフランチャイズもあるけど)
必ずしも人間にとって有益な神ばかりではなく、害をなす悪鬼の場合もある。
静かな居住地を与えて、飲食物供えて、娯楽まで提供してやるから、そこでおとなしくしていてくださいってことだろ?
神の種類によっては禁忌が決められていることあるけど、特に経典のようなものはなかったと思うぞ。
お参りだって挨拶以上の意味はない。「こういう計画立てて、これだけの努力しているから見守っていて下さい」ってとこな。
言い方変えると「邪魔はしないでくれ」って意味かな。
まぁでも税金払えとは思うけどね
お経のことか?般若心経は中国の漢文読んでますけど別にみんなが知らんだけで結構何割かのお経は日本語で読んでますけど?
真言宗だと般若心経秘鍵とかさあ。とげぬき地蔵行ったら延命地蔵菩薩経を書き下し文で読んでたぞ。
浄土真宗は儀式のときはほとんど親鸞聖人のお言葉だし浄土宗も一枚起請文読みますやん。
日蓮宗も法華経書き下し文で読むこともあるし御書とか言って日蓮聖人のお言葉読むやんか。
ぜんぜんちゃうやんか(笑)
声の良いお坊さんの読経は聞いてて意味分からんけど癒される
読経の上手い住職には今でも固定ファンがいたりするし
娯楽の少ない昔には尚のこと宗教もある種の娯楽だったんだろうと思ってる
娯楽というか癒しの部分はあったかも。実家の菩提寺の僧侶、声が麒麟の川島にそっくりなんだけど、葬儀であげてもらったお経の声に物凄く癒され、有難い気持ちでいっぱいになった。
謎の音程や木魚は僧侶が寝ないため説もあるけどな
仏教のお経ってインドから持ち帰った中国僧侶が
中国語訳をした物って認識しかなかったが、意味を訳した物もあるけど、
音を当てた翻訳もあるんか?サンスクリットの言葉があるって事は
幼稚園の時、意味の分からんお経を園児は面白がってすぐ覚えたな。
意識としては♪ポケモン言えるかな?と同等の覚えるゲーム。
ギャーテーギャーテーハーラーギャーテーなんて一生忘れんだろうな。
「往き往き、彼岸に往けるもの、その者こそ悟りである。幸あれかし」
だったら忘れたかも。
毘盧遮那仏と大日如来、サンスクリット語当て字と意訳。
広く遍く照らす者を太陽の上位的な存在と考え大日と超訳。
神道は社会宗教だから、個人の救済のために聖徳太子は仏教を導入した
まあ日本式仏教のことだよね。
般若心経なんて意味忘れても唱えてる人いるし、南無阿弥陀と唱えれば極楽浄土へ行けるインスタントな宗教。
“翻訳されてない外国の文章を自国の古代の発音で誰も理解できなくなるまで”
まさしく正解。外人の方が理解してるな。
理解が浅すぎる
クリスマスなんかが生活文化・メディア文化に受容されているのは残念ながら日本がアメリカに戦争で負けて占領されてたからってのが大きい
商業戦略にしても何故ブッダの誕生日ではなく キリストの誕生を祝う日を選んだのかって話
日本人にとっての神社は有形・無形の民俗文化遺産
そこには教義もなく 創生神話も知らないし祭っている神の名前すら知らない人が殆ど
そもそも日本神話等と神社との繋がりを知っている人のほうが少ないだろう
完全に宗教的段階を超えて世俗的・文化的な存在になっている
仏教もほとんどの日本人にとっては文化的存在にはなっている
自分の家の宗派とか知らない人間も多いだろ 仏教の経典の意味も知らないが儀礼的に仏教を採用している それが伝統的文化だからね
世界中のすべての人間が不可知論か無神論になればいくらか世界は平和になる
全ての宗教が信仰的段階を超えて近代化に適応し世俗化=文化的存在になれば良い
あらゆる「神」は「ハリー・ポッター」と同義である
「日本でクリスマスのお祝いが定着したきっかけは、大正天皇の祭日が偶然12月25日だったから」、って聞いたけど…
元々は米兵向けにキャバレーが始めたイヴェントに、サラリーマンが乗っかったからやで。
阿耨多羅三藐三菩提
阿耨多羅三藐三菩提
レインボーダッシュ!
セブン!
日本ではこんな子供向けヒーローものテレビ番組が成り立つ!
あ
うん
サンスクリット語=梵語はインドでは使われなくなってしまっている言葉だからね
お経の話?
宗教ってさー、日本人には向いてない。
だって津波きたら、みーんな他界しちゃう、それ拒む余裕すらない、
他宗教の方々は、自宗教以外をやってる人間は認めない。
根本的に考え方が全く違う。
そう意味では哲学的な仏陀の考え方
一切皆苦や諸行無常がハマるんでしょうな
インドの古代文字を今でも使ってるしな
原典の音の響きを大切にした、というだけの話なんだが、、、
意味はお坊さんが指導できるわけだからな
お経やし
あれ完全に当て字だからその漢字に意味ねえし
意味はあるよ
元の意味と乖離してるなら意味と言えるのかどうか
”可口可楽””宝礦力水特”的な意味な
サンスクリット語だけではなくて、上座部仏教の経典はパリ―語も多いので、日本の学僧は高確率はこの2つが読める。そんでもって、インドの仏教寺院の聖典にはしばしば、日本語のメモが端書されているとインドの坊さんに聞いたことがある。これは、日本ぐらいまで流れてきた写本を落書きまで含めて写本したからなそうな。
それはあまり一般的な考えじゃないかもです。
お経全体は確かに意味不明ですけど、お経から派生した4文字熟語とか諺とかそれこそ単語とか、、生きる教訓として生活のあちこちに散りばめられてますよ。
そして漢字そのものに含有されてる意味もまた生活に根付いています。(人と人が支え合って人、とか)
まあ、仰るような感覚っていうのは外国人がよくいう、
・日本人は無宗教に見えるけど実は自然過ぎるくらい神様と一緒に生きてる。
・日本人は自分達の特殊性に気づいていない。
とかとかにまさに当てはまってると思います。教訓ぽいのがウザいからそう感じるんでしょうね。
日本は無自覚のまま八百万の神々・・・神道のフォーマットの上に外来宗教が乗っかっているのだよ。
イスラムが来たら、自称唯一神の八百万の神々の一柱にすぎない。
今の神道のフォーマットは古いように見えてかなり新しいのよ。
明治時代に無理矢理に作ったモノばっかりだしね。
ミジャグジ様や出雲大社みたいに神道のフォーマットから外れた古い信仰もちゃんと残して伝承されているわけやからね。古事記や日本書紀の段階ですでにいろいろな捏造や隠蔽が行われているから、今の日本人からしたらどういう信仰なのか概要も朧なんだけどね。でも、出雲だけは神在月だし、タケミナカタはどう見てもミジャグジ信仰の原型をとどめてないいない雑に作られた疑神なのよね。
その前のフォーマットも藤原不比等が非互換横溢か状態から整えたんよな。
なので、その前からある神社を深掘りすると結構面白かったり。
なかには自称唯一神だった神様もいるし。
飢え死にか皆殺して略奪かみたいな暮らしではなかったから、合流したけど。
つーか既に唯一神神社も何社かあるしな
つまり、「考えるな。感じろ。」って事ですね(テキトー
いや、まさにそれ
教えを研究して道を極め、紐解くのは坊さんの役目で、俺らはそれでいい
創始者が誰なのかわからなくなったら宗教として一歩前進
じゃあ仏教はアウトじゃん…
仏教伝来以前、神道の源流となる縄文時代の宗教観とか調べてみるとめっちゃすごいで。
おそらく宗教の完成形で、神や仏の様な偶像崇拝は退化だということがよく分かる。
神道の場合は今でもあくまで御神体は神の椅子であって神そのものじゃないと信じられてるしな
上に書かれた日本以外の宗教の「神」って全部同じじゃん。
呼び方はどうあれ、みんなエホバだろ?
そして「神は自分に似せて人を作った」ってことだろ?
「群を抜いて」ってあるが、群じゃないじゃん。
そういうのはエイブラハムの宗教と言ってな、
預言者が作った”神”を信仰しているのだよ。
え、あれって今でもサンスクリットとして通用すんの?
ほんまか?
翻訳してしまうと、翻訳者の考えやその他諸々が入ってしまうから
原典がある物はそこに返って各々が読み解く方が好ましい気はする。
違うだろ。そもそも神道には教典なんてない。
天然自然や歴史上の偉人全てが神様。
聖書パクった復古神道あたりからは違うけど。
サンスクリット語を卒塔婆にプリントアウトするあたり、日本っていいなあ。
神道「言葉は要らない。ただ清浄であれ」
神道「だが死は穢れ、清浄にする方が無い、どうすんべ」
仏教「死後に輪廻転生することにしたら穢れじゃ無くなるぞ」
こうして混ぜ合わせたのが日本人の宗教
梵語とか使ってるもんな。意味不明でも
ちな、卒塔婆の梵字(悉曇)は筆書きで縦書きになってるだけで
インドで一番メジャーなデーバナーガリ文字とほとんど変わってない。
ヒンディー語話者のインド人なら余裕で読める。
ディーヴァ(天)ナーガ(竜)?
親鸞も聖書は研究済みだから知らずにキリスト教は受容してると思う。だからペテンにかかってないんだと思う。
でも残念ながらペテンに掛かる人も居たわけで
キリシタン大名とか
そりゃ、台風来たら死ぬし、地震来たら死ぬし、火山噴火して死ぬし、雨降ったら死ぬし、干ばつで死ぬし、疫病ですぐ死ぬ、飢餓ですぐ死ぬ、とにかく日本に住んでるだけですぐ死ぬんだからある程度大らかじゃないと信仰なんてしてらんないよ。
笑 それ日本でなくても起きるし
それでも宗教の始まりは過酷な環境だったから生まれたんだよ。
中東のあの辺り見てごらんよ。砂漠やで。
人をまとめるために出来たいい教えを書いてるしコーランなんかは合理的だよ。
そもそも日本はすぐに死なない土地。水も魚もあるし山へ行けば山菜がある。
自然に恵まれてるから、自然に感謝して大切に利用してきたからいっぱい神様がいるの。
イスラム教成立のころはそんなに砂漠ではなかったらしい
正月とかに聞く六段の調べもグレゴリオ聖歌説あるしな
7世紀に神仏習合した過去の日本人。聖徳太子が仏教の毘沙門天に祈願したり。聖武天皇が疫病退散の為に奈良の大仏(毘盧遮那仏)を建造したり、爺さんたちが唱えた
「神様仏様」は無宗教の唱えごとじゃない、神にも仏にも敬意を表していたご先祖様の賢さの表れ。
仏教が無視できないくらいに巨大勢力化したから折れただけだよ
皇族はそもそも天孫降臨を謳い文句にしてる
実力(金と権力)が伴ってたら仏教に擦り寄る必要もなかったんだよねー
的外れなガイジンの指摘と、
ガイジンの『宗教観』を知らない日本人のコメント。
『豚肉を食べちゃいけない』教義って。。。
嗤うしかないないだろ。
『進化論』が教義に反してる『宗教』ってアタマ悪過ぎ。
日本人にとっては、『宗教』は『道徳』。
時代の現実に沿わない『規則』ではない。
それだけのこと。
豚を食うのを禁止するのは遡及的だけど理由はある
人肉に味が近いそうだ
DNA的にも猿と同じくらいには人間に近く、薬物治験でも人体治験の直前に用いられる動物の一種だそうな
日本の神は天皇なんだよ
天皇陛下を信仰しているから他の宗教なんかどうでもいい感じになっている
もし、天皇が居なくなったら日本はガチで宗教で争いが起きると思う
日本が平和なのは天皇陛下のおかげ
天皇陛下万歳!万歳!万歳!
日本の宗教感を簡単に表すと、有難いと何でもあり
日本ってのは仏教のことを言ってんのか?
「自分の論理は正義、それ以外は悪」としたのは
ツァラトゥストラ(ゾロアスター)
ヨーロッパ、中東の宗教の根っこはこれ。善悪の二択。
>あと、宗教観とは別に、もちろん無神論は日本でも広く受け入れられているよ
それは違う
日本人は「無神論者」ではないよ
人(人類)の上に位置する何か(それを神とする)の存在は信じてるというかわかってる
ただ既存の宗教が矛盾だらけで嘘っぽいから宗教を信じないだけ
お天道様はお見通し、とか、「天知る、地知る、我知る、人知る」などその典型だろ
一神教は「神(正義)」がひとつしかない。
だから、唯一の何か正しいものを広めようとする。(そして「正しくないもの」をぶっ壊す)
多神教は「神(正義)」がいっぱいある。
なので、あ~、そういうのもあるのか~、と取り入れたり、そのまま残したりする。
日本は一神教が主流になったことがない国なので世界がカオスでも平気なのだ。
「よそはよそ、うちはうち」これが日本の本質かもしれない。
日本の神様は外国でいうGOTではない
GOTを神と訳したところが間違いなのだ
欧米人はYES,NOはっきり決めるのを好み、日本人ははい、いいえをはっきり決めずに曖昧に濁すのを好むのも一神教と多神教の差でしょうね。
「神」の範囲が欧米と日本で違うのよ
欧米は「TheGOD以外は神じゃない」
日本は「TheGODから天使、聖人、すごい人まで人智が届かない存在はすべて神様や」「悪い神様はお仕置きや」
日本の昔の人達は素晴らしい
印の仏教を取り入れたことで儒教が流行った支那大陸とは決別
しかも仏教を全てを受け入れたのでなく、日本に合わせた形で選択し取り入れたから印とはまた違った仏教になっている
それは元に神道があるからだ
神道に沿った形で仏教を取り入れ日本独自の仏教が出来上がっている
空海は本当に素晴らしい人だった
「一神教」は人間に都合良く解され過ぎ。日本人が考える「神」は人間の神であると同時にコロナウィルスの神でもある。マムシやスズメバチ、花粉症のスギ花粉の神でもあることは当然である。そして、最大の特徴は「おかみ」には一切触れない、また「不立文字」で文字にも起こさない、言及しない。「見猿言わ猿聞か猿」従って誤解のしようも無い。
日本の「神」感はGotを文字や言葉で捉えようとする他の宗教とは一線を画す。
心の中にぼんやりとした神様が居て
「いい行いをしたら良い出来事を授けよう 悪い事をしたらバチを与えよう
後は好きにしろ」って言っている感じ
それが何なのか、難しい理屈は分からん
原始的な精霊信仰をそのまま高度に昇華させたもの、と言えるかな日本の宗教観は。
宗教観は自然観でもある。
一神教は全て砂漠で発祥している。
砂漠の自然は人々を脅かす敵であり、強大な力を持つ救いの神に縋るようになった。
日本の自然は違う。地震雷火事水害などの災害をもたらす半面、恩恵ももたらす。
砂漠の民には島国の民の自然との共生なんて理解しがたいだろうな
ゲルマン語派地域でプロテスタントが広まり、ロマンス語派地域がカトリックに留まったのは、ロマンス語話者ならラテン語も大雑把に理解できるからなんだろうな。
なんで玄奘三蔵の翻訳が無かったことにされてるんだ
日本人は熱心に信仰してる人は少ないかもしれないが無信仰でも無神論でもないと思う
バチがあたるとか悪いこと後ろめたいことをするとお天道様に顔向けできない、日のあたる場所を歩けない みたいなのは多くの日本人が子供の頃に躾の一環として言われたり昔話とかどこかで触れるもので、普段から意識してはいなくても心の何処かに残ってるものだと思う
宗教と意識してはいないけど宗教からきた考えであることは確か
日本人は海外の人に聞かれたら「特に誰を信仰してるわけでもないしなー」程度で無信仰とか無神論とか言っちゃうけど、海外の人が思う無神論者は「神など居ねぇ!ヒャッハー!」な無法者でしょ
日本人的な宗教は意識していないけどそこにある、特に信仰してなくても神が居ないと明確に思ってるわけでもない
どちらかと言えば居るとおもってる人が多いんじゃないかなぁ
仏教って昔は貴族階級の宗教だからみんな漢文でも理解できたんじゃない?
庶民に対して広めようとした僧は踊りや狂言(無言劇)を用いた
最初は読めない層はお呼びじゃなかったのよ
日本人は宗教に対してマグナムドライだからな
「出家しないと極楽にいけないなら死ぬ少し前に出家しよう。それまで肉も酒もやめへんで~」だし
神道でも「神様が人間を作ったとかないわー。勝手に自然から生まれてきたんだろ」だし
チベット仏教とかだととにかく酒やめろって厳しい
坊さんは皆の衆のために言ってて
「そうしないと人生しくじる人が多いから」だと思う
日本人は基本酒が強くないためにそこそこ飲んでもいいじゃんなんだと思う
日本の仏教のお経の事なのは解るが、聖書勢だって唯一の崇めるべき神の名前の読み方解らなくなってるやんけ。まぁ唯一だから名前で呼び分ける必要ないんだけど。
しかも、本来は恐らく、事ある毎に気安くオーマイガー言うな的なニュアンスか、神が言ったと騙るな(神の指示だといって好き勝手他者を支配するな)的ニュアンスのどっちかで十戒に主の名をみだりに唱えてはならないって戒律があったのが時代を追う毎に名前を口に出して良い人が狭くなっていって、最終的にいつも誰も口に出してはいけないって感じになって代名詞みたいなので呼んでる内に音が解らなくなったとかいう…(恐らくは前者のハズなので気軽に呼んではいけない=キチンとしかるべき時に口に出すのは問題なかったハズなのに…)
朱子学は儒教だろう。江戸幕府公認の思想だ。
公認宗教は仏教なので、微妙だがな…
宗教なんて税金も払わず国政にも口出す破戒僧集団なんだから
崇める必要ねーよ
ひろゆき「いいから学校行け」
ゆたぽん「とりあえず税金納めてから聞こうか」
迫害あった歴史のアレで敬虔なキリスト教徒の多い長崎だって
精霊流しや初詣や七五三は普通にやるからねえ。
神様や創始者がよその宗教攻撃しろだなんてどこも言ってない。
イスラム教ですら余所様の土地じゃその風習に合わせろってムハンマド様はおっしゃってるのに情けない…
挙句の果てに核を落とされると言うね。
まープロテスタント(異端)がカトリック(異端)に攻撃したって意味では別に間違ってない。
基本的にはどんな宗教に関らず、その宗教の各派の酋長的忘主(坊主)たちがあらゆる他宗派を邪宗であると決めつけ集団催眠状態に陥れ、己の権勢・己への献金を増やそうとしたのが宗教対立や、多くの宗教宗派が自派以外への信教の自由を認めないのが今の世界紛争の原因だろ。サイワイ、日本人は他所からの仏教も面白がって迎えたし、基督凶がその本性を現すまではキリスト教にも寛容だった。元々日本人はいろんなものに興味深いから、面白がって(ほとんどの場合無防備に、が、欠点だけど)新しいものを喜ぶ癖が強い。また、縛られるのが嫌いだから、”ほとけさん、任せるから幸せにしてくれ”って言う南無阿弥陀仏が受け入れられた(献金持ってこい、日曜日には教会にこい、水曜日は勉強会、木曜日は布教の日、毎月何人は新人勧誘、勧誘数不足は献金追加、なんて事は殆どの日本の神社寺院は云わない)
海外からのものをありがたがるため
仏典はサンスクリットの響きをそのまま用いたのだろうけど
日本人て基本 音に何かが宿ると思ってたからね
ああ、日本のはお経ってことか
確かにあれの意味わかってる奴ほとんどいないしなw
だって、(その宗教を)貰って来た国の言葉で語りかけなければ
神様(仏様)が理解できないじゃないか。外国語(日本語)で
語りかけたところで、無視されては堪らないと言う事なんだと思う。
ただ問題は、日本人は発音が苦手と言う点だww
無宗教って要するにご家族が亡くなりましたら、ご遺体は可燃ゴミで出してくださいって世界よ
たいへん合理的だ。でも、感染症&ハエをはじめとした害虫発生が怖いから
「可燃ごみ」より「医療廃棄物」として出してほしいなぁ(問題点はそこではない)
医療廃棄物だって高温で焼却するだけやで(論点はそことちゃう)
お経は漢文だから、書き下し文と、
宗派毎の解釈を加えたもので内容を勉強できる
九字はお経じゃないけど、あれだって書き下せば意味が分かる
読本に平仮名でぎゃーていぎゃーてい書いてあってもとんとわからん上に、
現代語訳の注釈一つとっても全く理解できないあれをどう信仰せよつんかと思う。
ホント体がきかんようになってから暇つぶしに読んで安らぎを得るためのモンなのかもな。
原始の宗教ってガチガチに理論派だけど
時代が経つにつれて理論がなくなっていって形式だけ残る
てなことを岡田斗司夫が言ってた
>日本が仏教と一緒に中国から持ってきた漢字は、
隣の国が抗議しそう
「羯諦羯諦 波羅羯諦」はサンスクリットの段階ですでに呪文だからな
マクス・ウェーバー「宗教とは、行動様式のことである」
山本七平 「日本人とは、日本教の信者のことである」
キリスト教の聖書は翻訳されているし、神道はまさにザ日本語で神官がお祓いしてくれるし、仏教だけだよね?サンスクリット語を日本語訛りで呪文みたいにいうのは
日本人は外来語が好きだから
以前、密教の宗教者が話していた、「神(自然)は人間のためにあるわけじゃないから」っていう話が多分日本人の感覚の根底にあるのだと思う。昔ヘブライ語で旧約聖書の授業があったけど、あれは学問を知らない奴隷階級に集団生活の規律を教える法令集のようだった。これが新約聖書につながるのだとしたら、きっと神道とキリスト教は別のベクトルにあるものなんだと思う。イスラム教はわからないんだけどね。
入りなさい学びなさい改宗しなさい広めなさいっていう押し付けてる感じの宗教は日本人の根底にある感覚に合わないからなんとなく嫌悪してしまうんだよな
根底というか神道なのか
八百万の神様の考え方があるから他の宗教の否定にも繋がりにくいのかなと思ってる。良い神様も悪い神様もいるし、実在の人物を善悪関係なく神として祀ったりとかもあるから他国からは理解しにくいんだろうなと。
ただ自分が神様とか言っちゃうのは受け入れ難いね
日本人は同調圧力を嫌うからな
現代日本人の宗教観は揉めると面倒くさいから癖の強いものは全部抜いておこう
スパイス抜き、出汁抜き、食材抜きとやった結果、誰もが受け入れることが出来る空っぽなものに
無味無臭だから勝手に味付けをする詐欺師が出てくる自由度満載の独自宗教
日本人は、昔からの文化を非常に大事に守っている民族なので誇らしいです。梵字もご当地では廃れているようですけど、漢字もそうですね。中国はかなり略字を使っていますが、昔からの漢字を日本は使い続けていますし。
島国ということもあり、略奪等に遭うこともなかったので、文化財が守られてきた経緯があると思います。韓国が盗まれた仏像取り返したとか言ってますけど、完全に泥棒ですからね。確かに、昔韓国から盗んだかもしれませんけど、昔過ぎるでしょ。あれ、無罪になったんでしょうか。だとしたら国としてイカレてるとしか思えません。
お経はサンスクリット語をその時代の中国語に翻訳した物がほとんど。だから漢文として読めるだろ。南無阿弥陀仏はサンスクリット語の音を中国語に当てた物だけどね。
ピピリマピピルマテクヤクマヤコン、まぁ意味わからなくても特に困らんな。
白隠禅師座禅和算みたいな普通の口語のモノも有るけどな。
はんにゃはらみったー
ぎょうてーぎょうてー
確かに聞くとわかんなくても、漢字で書いてあるの見るとどうにかわかるのよ?
般若波羅蜜とか羯諦羯諦とかはサンスクリットの音に漢字を当てたものだから、
字を読んでも意味は分からんぞ。
お経はこのようにサンスクリット語の音に漢字を当てたもの、中国語に訳した
もの、日本語に訳したものが混在してる。更に宗派によって発音が違ってたり
するから、結構厄介だ。
日本の宗教って唯の先祖崇拝だよな。
仏教でも仏=先祖だし、神道でも本来は氏神を祀るもの。
現世利益を求めて様々な神を祀る様には成っているが。
浅ッ!
外国人は政教分離原則を守るべき?
神に頼り過ぎ。神に責任転嫁し過ぎ。神は便利屋さんではない。
政治や学問や経済などに宗教をいちいち持ち込みすぎ。特に宗教組織の権威。
その結果はコロコロし合うばかり。
日本人の宗教観ってなんだろうな
火でも水でも木でも石でも何でも崇拝の対象になる。八百万の神と言うが本当にそれくらい信仰の対象がある。日本にとって宗教とは何かを恐れ敬いたいという心の渇きみたいなものかもしれない。
大昔と違って現代は本を誰でも読めるし(紙や印刷の普及、識字率)
ネットもあるし
自分に合う考えを色んな所からつまみ食いして自分だけの信仰を持てばいいんだから
むしろ信仰を他人と共有するとか破廉恥だろ頭おかしいんじゃねーの?ってくらい
サンスクリットを漢字表記して意味もわからず使っているのと
LGBTだSDGSだという単語を意味も解らず振り回しているのと
特にやってる事に違いはない。今も昔もそんなもんだ。
梵字はインドではほぼ廃れていて、でも日本では今でも宗派によっては卒塔婆などで使われていることをインド人が感動してるというのをパンドラの憂鬱で見ました。日本は、韓国や中国からの遺物を非常に大切に保存してきていることからも、歴史に対する感覚が大陸の方たちとは大分異なりますね。漢字も、中国はかなり略字になっちゃったけど、日本は中国から借りた感じを今でも大切に使っている。
そういう古いものを綿々と大切に大切に守ってきた日本人の心を尊敬するし、日本人として誇りに思います。
現代日本人「困った時の神頼み(どの神様でもいいから助けて栗)」
あれだろ、分からないからとりあえず総合内科に行っとけ的な
そこから専門の人に繋げてくれるはず
多神教も正直大らかではないんじゃないかなぁ
良い物は取り入れるけど、それだけでしょ?
根っこには自分達のアイデンティティを守ろうとする心が有って
外からくる思想への絶対的な拒絶が有る 魔改造はその一例
大らかと人は言うけど、その根っこはガチガチな排他的思考だよ
でもそれは悪い事じゃなくて、いい意味で線引きが出来てるってことだ
だからこそ文明が残るし自分の国の文化を残そうとする反発心が生まれた
良い物を取り入れるだけならとっくに日本は今の日本じゃなくなってる
日本人がオタク気質と言われるのは島国の風土もあるけど
無意識に神道や仏教の教えと異なる「強制されるもの」を拒絶する
立派な宗教観が根底にあるからじゃないかな
なんかそれっぽい事書いてるけど的確だとは思えないな
良い物を取り入れるだけ、アイデンティティを守ろうとする、それが排他的思考ってのが理解できない
悪い物でもなんでも取り込まないと排他的ってのは違うんじゃないか
現状よりもより良い物にしようと思ったら良い所だけ取り入れるのは正しいし、文化を守るのは排他的だからでは無いでしょう
あなたは線引きする事と拒絶する事を一緒くたにしている気がするな
まず自然界が人間を拒絶してることをお忘れなく
その自然の厳しさを日本の社会の内側に持ち込もうとしたらそりゃ拒絶されるよ
当たり前じゃないか
どの宗教とかいう問題じゃなくて人間としての生存能力の限界の話
行きすぎた個人主義とか他人を騙しても平気な心とか完全に野獣だからな
無宗教、無神教つーか 多宗教って感じ
色んな宗教や神様があって どれか一個って感じでなく
どれもが同時に存在し、ただ状況によって出番が違う。
良き隣人とか、お天道様が見てるとか、言い方は違っても
結局の所、本質的に求めてることは同じしょ?
そうか、ヴォイニッチ手稿もその勢いで読めば行けるんやな
真言はおまじないって事にしていて、「アブラカダブラ」を翻訳しないのと一緒だ。
八百万の神々、という考え方の懐の深さだねぇ
一神教の国が布教に来ても、日本人は
「ほーん、そんな素晴らしい神ならご利益がありそうやな」
と、八百万の神々の一つとしてその神をインストールしてしまうw
侮辱だぞ、アホリカン、原爆落としてやろうか? 正気になれ、貧乏移民の白豚ども
サンスクリット語 ハーディヤ ハラ ミーダット
>中国語(音を保存) 般若 波羅 密多
>日本(おんよみ) はんにゃ はら みた
これを言いたいんだと思う
仏教学者とかじゃないと意味までわからんと思う。
漢語にサンスクリット。二重翻訳でしょ? いや、現地語合わせて3重以上になってるかも。その過程で意味が壊れているのもある。どこがどう壊れたか追っていく仕事は、どう考えても学者さんのエリア。日中印+東南で組めば、包括的な仏教研究できる(特に言語学の側面として)かも。そういうプロジェクトやってるのかな?
いや待て最後のコメすごいな
サンスクリット語はそんな長い間音が変化してこなかったわけだ
日本人が古いものをそのまま保管するのはもう趣味の領域なので…
神道に関して言えば「聖典なんてありません」だしな
一言で説明しろと言われたら「そこらじゅうに神がいます」おわり。
穢れを持ち込むな、綺麗にしておけ、神を侮るな
これくらいか?
まさに念仏仏教
俺らは別に無神論者じゃないよな
生活に浸透しすぎてて意識すらしないというか
ある意味では世界一宗教的なのではないか
いろんな神様がいた方が面白いじゃんね
「みんな違ってみんないい」ってみすゞも言ってるしな
なんとなく、生きてる間は神道、死後は仏教みたいな感覚でいたわ
一般に、良き行いをすれば神が助けてくれる的な説法になりがちな一般的な宗教だと、
自然災害の絶えない日本では馴染まなかったのかもね
シャーマニズム的な方向に傾いて、善き神を称え、悪しき神を畏れ敬う、というのが自然と
儒教とかいう呪教は韓国!
他人の物は自分の物、自分の物は自分の物!
借りた振りして、もらったと言い張れ!
受けた恩は怨で返せ!
作り話で相手を翻弄しろ!
自分が悪くても、相手に責任なすり付けて、絶対、謝るな!
教えは、他にい~~~ぱいアルスミダ!
儒教と朝鮮儒教を一緒にしたら孔子が泣くぞ
まあ日本の儒教もだいぶ別物だけどw
なにが不思議なんだろ?
英語の歌を英語でカバーするのと動機は同じなんだけどな?
オリジナルに対する敬意が大きければ、
意味を知りたいという欲求もあるはずだが、
意味を知ったその上で、
オリジナルそのものを自分らで再現したいという気持ちは分かるでしょ?
うーん、ほとんどの国の宗教(唯一神・一神教)というのは、所謂支配のためのプロパガンダだよね。日本の浸透ってのは、古代エジプトをはじめとする原始的なものがそのまま残されているんだよね。日本列島は自然災害が多いから、余計に人間の贖うことが出来ない事象に対し、人知を超えたものとして様々な現象に対応しているんだ。だけどそれに頼るのではなく、立ち上がるのは自らの力でしか出来ないとも知っている。ただ、その怒れる自然を鎮め、拠り所となる様に祖先を祀り、犠牲者を祀り、自然を祀る。その中には、敵対して戦った相手とか、糧となってくれた動物、人の役に立って使われなくなった道具類とかも含まれる。全てのものが、擬人化され、意志がありそしてそれらが全て繋がっていると考えるのが古代から連綿として伝わっている考え方。科学がどんなに進化しても決して人間は自然には贖えない事もわかっている。そして根底に有るのは「お天道様が見ている」という、行動理念。そう、間違った行動には報いが与えられるということを幼少期から叩き込まれている。というかDNAレベルに染み込んでいるのが日本人。
音は呪術そのものである、音の響きそのものに呪術的意味がある、という思想信仰があるから、原典の発音を残そうとしたんやと思う
知識よりも体験
頭で理解することよりも、身体に染み込ませることを優先してるんや
うるせーばか!ろしあがわるいにきまってる!
今の自分が理解できる事だけを伝えようとしたら伝言ゲーム化して別物に置き換わる
理解できなくとも、そのまま伝え続けて自分なりの解釈を導き出す修練を怠らず、後世に伝承し続けるのは大切なことである
原典への尊重をしつつも原理主義的にはならない、時代の移り変わりに対応できるモデルかと
少なくとも、日本においては
・ヤバイ宗教は信者を勧誘する
・真っ当な宗教は信者を勧誘しない
たった一つの例外もなく、これは真理
前者は宗教を名乗るただのマルチ商法団体だからな
[…] 6:海外の反応を翻訳しました : ID:. あと、日本って一括りにせず、神道、仏教、儒教のそれぞれの細かな文化的影響を深掘りしていくと、日本の宗教 …. => 今すぐ読む […]
日本の宗教観の一番下の基礎部分は、アニミズムの自然崇拝と先祖崇拝。
他の国は、何かの宗教に染まると、これが消去されて、その宗教の神に上書きされている。
ところが日本は、神道も仏教もそのままそれを容認してしまった。
死んだ祖先が神様、仏様になってることに納得してるのは日本だけ。
この価値感に真っ向対立したのがキリスト教。で、結果的に布教失敗。
南米の一部地域じゃキリスト教と土着信仰をブレンドしたようなものを奉っているが。
洋楽は訳詞で歌うより原語で歌った方がありがたがられるでしょ。ふつう。
真面目な話、複数の僧侶による読経は荘厳な音楽に聞こえる。
言霊が宿っているとして、それは原語、原発音でのみ有効なのでは?
神仏習合については記述なしか。
日本人の宗教観の根源だわさなぁ。
自然災害だけでも毎日生きていくの大変なのに、この教えは悪いとかあの教えは敵だとかいって大勢同士でいがみ合いや殺し合いをしててもしゃーないでしょ。お互いがお互いを認めてよそ様はよそ様、相手のいい所はお互い認め合い取り入れ合い。皆で仲良く幸せな国を創っていきましょうという教えだわさなぁ。(相当かみ砕いたけど)
なので、仏教も、神道も、八百万の神も、イエスもアラーもその教えでええとこがあると思ったら取り入れて文化形成してきたわけですわ。
まあ、それが除夜の鐘、初詣、バレンタイン、桃の節句、端午の節句、七夕、月見、ハロウィン、クリスマス、大晦日。なんていう行事が根付く根源でしょうなぁ。
まあ、ある意味国づくりをしたのが
イザナミ、イザナギという神なので。
その流れをくむ日本人は全て自らも神だとも言えます。
日本は神々の遊び場なのですよ(笑)
簡単なことでさ・・・
ファンだったら
たとえばビートルズをカバーするとき
翻訳しないでしょ?
原語で歌いたいよね?
ファンだったらさ
オリジナルのエモーションを再現するには
翻訳はむしろ邪魔
わかる
仏教と神道と原始宗教が入り混じっていて
子供の頃はそんなこと知らないで精霊とか鳥居とかお経とかに接しているから一つに絞れないよな
落語の「寿限無」。
意味不明だが、音写の事について言いたいのかな。
中国人が音写したり意味写したり、インドから翻訳したのを、
さらに日本人が翻訳。バグる。
なので、昔の仏教の大家は、今でいう文科系の大先生のような人ばかり。
記憶力とか語学力がくるってる人が学僧やってた。
漢字で音写していたが、意味はどうやって取ってたのだろう。
愛似重 合羅部用 なんて感じか。意味はサンスクリットの音を学んだのだろうか。
だが、きっと、当時の辞書も漢字音写じゃないのか?
麦当労 肯德基 星巴克 やで。
山本七平の本に書いてあったと思うが、古墳ー飛鳥時代ぐらいの音写が解読が難しいそうだ。愛羅部用 とか 逢螺部世雨 とか 逢螺部用 とかそんな感じで音写が時代で入り混じって一定せんらしい。かなが発明されたのは後の時代。
また、こういう音写をやっていたことで、古日本語は無文字だった可能性が高いんだとか。文字があるなら、その日本固有文字をつかうはずなのに、大和言葉の音写に漢字を使っているから。神代文字なんてのが実際にあるなら、「うみ」「やま」のようなヤマト言葉に対してそれを使うはず。
そんなん、明治に何やったか考えれば即否定されるわ。
政府の公式文書用語、大和言葉を凡そ使わんで音読み塗れやぞ。
おんさんまやさとばん
経文のことを言ってんのか?
サンスクリット語を漢文に訳してあるだけだし、読めばちゃんと意味があるのに
読めないアホが多いというだけの話やん
なんの自慢にもならんわ
神様には男女が居て、結ばれて子供を産んだことになってるけど、それって神様も老衰する事を示唆している。対して、仏様にはそういった性別・家系が無くて、単独に存在するから老衰もしないんだよね。つまり、人間が神々を崇める様に、老衰する神々が心の拠り所として崇める対象となり得るのが仏様の存在というわけ。
これを本地垂迹説、ほんぢすいじゃくせつ と呼んで、日本人の宗教観の基本となってるのよ。
追伸
キリスト教は「ユダヤ人許すまじ。」と教えるね。
キリストを冤罪で処刑するなどという醜悪な性格に塗れた人だと周りの人々から疎まれて、日本では自然災害に遭った時に助けてもらえず自然淘汰されたから、日本人にしてみれば「誰々許すまじ」・・・・他人を性悪説で見ろ・・・・と教える宗教は『胡散臭いもの』にしか映らない。つまり、強欲な者が自然淘汰された日本では、性悪説で人を見る習性が定着しなかった。
これが日本人の宗教観であって、その精神性は神々や仏様のそれに近い。日本人に「あなたの信じる宗教は?」と聞いても、答えられない人が多い理由がこれ。
自然災害の絶えない日本では、「この神を信仰すれば救われる」と言った類の宗教は根付かなかった、どれだけ熱心に信仰しても、地震は起き、津波は起き、噴火は起きる
結果、善きもの、悪しきもの、人知の及ばぬ存在を全て敬い、畏れるシャーマニズム的な宗教観だけが残った
欧米のキリスト教的な考えは相容れんじゃろね、悪魔崇拝なんてさ
でも、日本は悪しき神にも祈るんだ、鎮まり給え、ってね
信仰するために邪神に祈るわけじゃないんだよな
一神教徒はそれを忘れてるから困る
アステカが毎年のように腕試しの優勝者の心臓を神に捧げてたのは生贄にするためじゃなくて悪神と戦うための戦士を送り込むためだったというし
一神教的な神は日本人には馴染まない
けど人間がいちばん偉いとも思ってない
「お天道様が見ている」みたいな昔ながらの道徳律を守り
美しく豊穣で時に荒ぶる自然に感謝し畏れて生きてる感じ
これを維持できれば治安は大崩れしないと思う
もし移民が増えていくなら彼らも巻き込んでしまえ
その移民が日本に宗教を押し付けまくってきてるのが今だからなぁ
あんなんじゃ日本では暮らしていけないのに