A ceramic jar filled with thousands of bronze coins unearthed at the site of a 15th-century samurai’s residence just north of Tokyo, Japan.
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東京 陶器の壺に入った数千枚の銅貨発掘される 15世紀の武家屋敷跡から出土

東京北部で、15世紀の武家屋敷跡から数千枚の銅貨が入った陶器の壺が出土した。埼玉県埋蔵文化財調査事業団の瀧瀬氏によると、中国で鋳造されたこれらの硬貨は供物であったか、あるいは単に保管のために埋められたものであった可能性があるという。壺の縁にあった木版には、26万枚もの硬貨が入っていたことが記されており、瀧瀬氏によれば、当時の農村地域で流通していたとは思えないほどの数だという。
引用元:Archaeology
2:海外の反応を翻訳しました : ID:
銅貨の真ん中に穴が開いてるだろ?1000枚単位で紐で縛ってたらしい 壺の蓋には「260」という数字が刻まれていたらしく、約26万枚の銅貨が入ってると思われる 恐らく中堅クラスの武士の屋敷だったんじゃないかって言われてる 価値は500石で1年分のコメの量らしい
3:海外の反応を翻訳しました : ID:
500石は125両だ 1量は15グラムの金に相当する 今の市場で金1グラムあたりが58.44ドルとすると、これは1,875グラムあるから約11万ドルの価値があるな
4:海外の反応を翻訳しました : ID:
現代で置き換えると、コメよりも金のほうがわかりやすいな でも当時は金の生産コストはもっと高かったろうから、本当の価値って言うのはわからないよね
5:海外の反応を翻訳しました : ID:
ってか、当時の人はめっちゃコメ食ってたんだな!
6:海外の反応を翻訳しました : ID:
その土地の穀物を食べるわけだから、普通だろ 中世のイギリスだと、一日に2~3ポンド(約1キロ)のパンを食べてたらしいぜ こういう格言があるだろ?「人はパンだけでは生きていけない」って
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韓国の聖書では「わたしが命のパンである」っていう部分は「わたしが命のトックである」になってるらしい
トックは、穀物、特に米(うるち米またはもち米)で作った朝鮮半島の餅、あるいは餅菓子である。
引用元:Wikipedia
8:海外の反応を翻訳しました : ID:
へー!世界の聖書の翻訳は面白いよね パンがない文化でどう表現するかっていう 羊飼いは聖書に出てくるけど、羊はどの国にもいるわけじゃないしね
9:海外の反応を翻訳しました : ID:
こんなに大量に銅貨が出てきたら、価値が下がるだろうな
10:海外の反応を翻訳しました : ID:
いや、過去にも結構見つかってるから、価値は変わらないよ
11:海外の反応を翻訳しました : ID:
どっちにしても紐から外すことはないよ 一緒になってるから価値があるわけでさ
12:海外の反応を翻訳しました : ID:
盗賊から守るためだったんだろうか?
けど、主人が殺されて誰もお金の行方が分からなかったとか
13:海外の反応を翻訳しました : ID:
内戦でとりあえず埋めて逃げたんじゃ? あとから戻って掘り出すためにさ
14:海外の反応を翻訳しました : ID:
または脱税の可能性だな
15:海外の反応を翻訳しました : ID:
内戦が理由かもよ
だって日本はずっと内戦下だったじゃないか
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記事によると中国で鋳造された硬貨らしいよ
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中国は当時からなんでも作ってたのかよ!
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いや、中国人が日本のために通貨を作ったっていうよりも、日本人が中国の通貨を使ってたって感じかな ベネズエラだって米ドルやユーロ使ってるしな
19:海外の反応を翻訳しました : ID:
悲しいよね こんなにたくさんのお金を残して死ぬのは これだけのお金を手に入れるだけの才覚がありながら、生きてる間に使うだけの才覚はなかったなんてな
20:海外の反応を翻訳しました : ID:
ちげーよw 離婚で奥さんに取られるのが嫌で隠したんだよw

引用元:reddit
コメント
何故寛永通宝……
明銭てこと?
永楽通宝かな?
銭のはいってる大きな壺のほうが価値があるね
通宝しました。
ここは太田資正配下の足軽大将、野口多門の屋敷跡とされている。実子と家臣の多くに離反された太田資正に最後まで忠実だったとされているのが野口多門なので、「主君である太田資正の岩付城帰還まで預かっていた軍資金なので生涯手を付けなかった」というのが正解である気がする。
太田資正はこの後かなりしつこく岩付城奪還のために戦い続け、驚くべきことに二十六年後!の1590年に豊臣秀吉の小田原征伐にまで参陣して秀吉に謁見しているが、残念ながらすでに過去の人であんまり相手にされず、岩付城奪還はならなかった。
あの異常なしつこさの裏に、この銅銭があったとすればなかなか興味深い。
太田資正にとっては奪還対象は城だけでなく、この量の銅銭もセットだったというのが今まで知られていなかった歴史の裏面だった可能性が高い。
領地は実子太田氏資の代から事実上北条氏に乗っ取られた形で存続し、その北条氏も小田原征伐で滅亡したので、銅銭のことは忘れられたのだと思われる。
面白そうな話だね
面白い話ありがとう
なんか前に見たような
2018年7月頃の話だからね
使い回しです.ネタなんて探せばいくらでもあるからな。
海外反応系あるあるだな
10年前のネタとか未だに擦ってるの見るし
ちりつも
コツコツ貯めたのか、一気に手に入れたのか
保管のために埋めたのか、廃棄のために埋めたのか
誇らしいものなのか、やましいものなのか
謎は尽きない
こうやって溜め込むから銭不足で問題になったりするんだよな
今も昔も同じやな
「昔の中国人はマジで凄い」
って言おうとしていたら、
そういうのじゃなかった・・・
どうかしてるぜ
どうにもこうにも
この金をちゃんと使って当時の中国の美術品なり書籍なり、後世に価値が残るもの購入してくれていたらと残念に思う。
まぁ沢山あると減らしたくなくなるよな。
なんで銅貨をあんな大量に...? デカイ壷を埋めるために深い穴掘るの大変そう。
金に替えておけば場所も取らないだろうに。
500円玉貯金的な感じでコツコツ貯めてたのかな?
合戦で傭兵を雇う際に あの紐付き銅貨を渡して雇い入れたんだろうな…
日本の通貨は別にある
明銭で日々暮らしてたわけじゃない
武田家の場合だと明銭鋳つぶして鉄砲の弾丸作ってたし
鉛がないところや貯蔵が少ないと明銭で代用してた
後は銅資源として再利用
銅像とか寺の鐘とか大砲とか